SACRED SPIRITより

既視感 


この記事は、メインブログの記事をそのまま貼り付けたものです。

 タイトル通りでございます。
前回の記事に貼り付けた『AINU ARTS&CRAFTS』という動画。
映画「アイヌモシリ」関連の動画をYouTubeで探した際目に入ったものです。
主人公カントを演じた下倉幹人の母親である下倉絵美さんの動画、さらにはお父さんかと思われる下倉洋之さんの動画です。

昨日は、それらを情報の収納庫である『納戸』というカテゴリに収めたところで、記事を締めました。

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下倉洋之氏は動画の中で、カナダのジュエリーが好きと語り、カナダの美術家「ビル・リード」の作品に強く魅了されていると語っておられます。


ビル・リード氏に関しては下記の通り。(Wikipediaより)

ウィリアム(ビル)・ロナルド・リード(William (Bill) Ronald Reid, 1920年1月12日 - 1998年3月13日)は、カナダの美術家。カナダ北西沿岸先住民(かつて北西沿岸インディアンと呼称されてきた人々)のうち、特にハイダ族の伝統芸術様式を復興させ、今日の世代に受け継いだ芸術家であり、彫刻(木彫、ブロンズ)、宝飾品、絵画、シルクスクリーンなどの分野で活躍した。

「ああ!!これ!!見たことあるわ。」
動画に映し出されたビル・リード氏の作品の一部を見て、私はつぶやきました。
そう!!
龍村仁監督による『ガイア・シンフォニー3』の映像の中で見たのです。

ガイア・シンフォニー

 1999年の12月、私はこの映画の上映会を企画し、夫の協力を得てこの町で上映しております。
思い出深い映画なのです。
映画の情報まで貼り付けてしまいますと、記事がボリューミーになりますので、ここでは内容については割愛いたします。
ただこの映画のなかで、ビル・リード氏の作品も登場しており、その記憶が呼び覚まされたことを伝えたいのです。


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(画像は、2017年のネイチャリングニュースよりいただきました。)
この映画で使われた音楽、『SACRED SPIRIT』のライナーノーツの写真にもビル・リードの作品が使われておりました。
(現在検索にかけても別の画像が出てきます。当時のCDに使われていたのです。
私、このCDを持いるのですが、だらしないことにライナーノーツ紛失しておりまする。)




下記は、「監督のお薦め2」というウェブページのコピーです。
龍村氏が『SACRED SPIRIT』について語っておられます。

セイクリッド・スピリット『セイクリッド・スピリット』(東芝EMI
このCDこそ『第三番』のためにあらかじめ用意されていたのだ、と思えるものだ。「地球(ガイア)の声が聴こえますか」というあのコピーを下さった藤原ようこさんからずっと以前にプレゼントされていたものだった。クリンギット・インディアンの神話の語り部、ボブ・サムのパートをつなぎ始めた時、久し振りでこのCDを聴いた。以前聴いた時とは全く違って全身が鳥肌立ってくるのを感じた。それはボブ・サムの語る「ワタリガラスの神話」を言葉ではなく、音楽で語っている、と感じた。私は音楽を聴く時、ライナー・ノーツはほとんど見ない。この原稿を書くにあたって改めてライナー・ノーツを見た。そこにはワタリガラスが大洪水のあと初めてこの世に人間を誘い出した時の様子を表す、ビル・リードの有名な彫刻の写真が載っているではないか。ボブ・サムの語る神話もこのCDも、20世紀の体験を経て、21世紀に甦る5千年~1万年前の“記憶”なのだろう。

(大文字はkyokoによる)

 1999年の上映会以来、私は『ガイア・シンフォニー』を観ておりません。
ましてや、再び自主上映を企画するエネルギーも持ち合わせず、20年余を過ごしてきました。

しかし、『アイヌモシリ』をブログの話題にしたことをきっかけに、見覚えのある映像に出会い、懐かしい世界に戻ってきたという気持ちです。

『SACRED SPIRIT』の音楽を一つご紹介して、「音楽」のカテゴリとしてしまっておくことにましょう。

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スラヴァ

スラヴァ・・・カウンター・テナー歌手です。日本では「スラヴァ」の愛称で呼ばれますが、ヴャチェスラフ・カガン=パレイ(ロシア語: Вячеслав Каган-Палей)と名乗っているそうです。


カウンター・テナーとは、変声を過ぎた男性が裏声(ファルセット)や頭声を使って、女声パート(アルト、メゾソプラノ、ソプラノ)あるいは女声に相当する音域を歌うことを指します。


以下はWikipediaから一部抜粋した略歴です。

ベラルーシのホメリに生まれた。はじめベラルーシ国立音楽院(英語版)でヴァイオリンを学んだが、やがて声楽の才能を見出されて歌手に転じ、ベラルーシ・アカデミック・カペラで歌い始めた。
1987年にレニングラードフィルハーモニー管弦楽団との共演でシューマンの「レクイエム」のソプラノパートを歌い、ソリストとしてデビューした。

私がスラヴァを知ったきっかけは、龍村仁監督の『ガイアシンフォニー』という映画作品です。
その第三番。
星野道夫  フリーマン・ダイソン  ナイノア・トンプソンが出演する作品です。
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 さらに・・・、私はこの映画の上映を我が町で鑑賞するために、実行委員の筆頭に立って動いたのでした。15年以上も前のことになりますが。
教育委員会の協賛を得るために、夫も大いに協力してくれました。


この作品での挿入歌の一つが、スラヴァによるカッチーニの『アベ・マリア』だったのです。

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龍村仁氏が寄せる『アベ・マリア』への賛辞です。

スラヴァの「アヴェ・マリア」は、ほとんど“狂気”と紙一重のところまで鋭ぎ澄まされたマリアの愛だろう。
この曲を使いたいと思ったのはあのフリーマンの眼だった。
一人の人間の生命の時間をはるかに超えた宇宙的な時間を見つめている時のフリーマンの眼はまさに“狂気”の眼だ。母なる星<地球(ガイア)>の慈愛の背後に拡がる無限の闇の宇宙、母なる星<地球(ガイア)>の慈愛はまさにその無限の闇の宇宙に支えられて在る。スラヴァの「アヴェ・マリア」はその闇の宇宙から聴えてくる。それは“狂気”なのだろうか、それとも、<地球(ガイア)>をはるかに超えた宇宙のマリアの愛なのだろうか。


『アベ・マリア』も大好きですが、手持ちのCD『ララバイ』収められている曲たちも大好きなのです。
その中の一曲『ライラライラ』・・・いかがでしょうか??


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我が家の愛犬ぶーたろうも、思わず遠吠えする美しさ!!!!

good-byeエンニオ・モリコーネ

※この記事は同タイトルのメイン記事を貼り付けしたものです。

訃報

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7月7日、
長男からのラインで、エンニオ・モリコーネが亡くなったことを知りました。


家に戻ってから新聞を広げましたら、記事がみつかりました。
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享年91歳・・・・大往生といえますね。
年齢を考えれば、このような報道は想定内といえましょうが、長男Hにとっては予期せぬものだったようで、大きな衝撃と共に受け取ったことが、その文面から伝わりました。
彼のTwitterには、「心に大きな穴か空いた」と書かれておりました。

この事を記事として残すことは可能だろうか?
と問われましたので、
「やってみましょう。」と。
Hのリクエストに応えることにしました。

 昨日の記事で、次男が数日滞在するのでバタバタすると綴りましたが、彼はこちらに来ても仕事三昧な様子。
引っ越し業者の方がやってきて、搬出が終わるや、
お留守タイムの妹宅(娘のところ)へ移動し、そこでリモートワークに励むそうです。

1日年休を取った私は、思いがけずのんびりした時間を確保することができることとなりました。
天気は良く、外は静か。
今はまだ自宅にいる次男のパソコンのカタカタいう音と、外で鳴き交わしているカラスの声を聞きながら、ソファに座ってスマホで下書きを打っています。

ピアノとバイトとビデオの日々

 長男がエンニオ・モリコーネを知ったのは、16歳の時。
長男Hは、中学3年生で初めてピアノに触り、その後その世界にのめり込みました。
高校の進学もせず、バイトとピアノとレンタルビデオ観賞の日々のなか、出会ったのが、
海の上のピアニスト』でした。

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この曲をひっさげて札幌に出向き、素人自慢コンクールに出場しました。
そこで出会った音楽仲間との交流も始まり、息子の道は迷うことな方向づけられてゆくことになります。
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素晴らしい音楽を残して・・・

 Hは、その後作曲の勉強をし、その技術を向上させるべく今も励む日々です。 
作曲の手ほどきを受けることとなる、M先生と初めての対面時のこと。
M先生はHに、
「君には、目指したいと思えるような作曲家、目標とするような作曲家がいるか?」
と尋ねたそうです。
Hは近代音楽の作曲家として確立を果たしておられるM先生を前にしながらも、正直にエンニオ・モリコーネの名を挙げたということです。



彼にとってエンニオ・モリコーネは、峰の高みに存在する揺るぎない理想だったようです。
憧れ、尊敬の対象だったようです。
直接会ったり、話したりする存在ではなかったものの、大ききな拠り所であり、それを失った悲しみ喪失感は大きく、Hの感情に激しく作用したのでした。

Hに関することは「長男のこと」に綴っておりますし、今後も折々に綴っていきます。
重複を避けるためにもここら辺りでとどめておきましょう。

息子のリクエストであるこちらの動画と・・・・
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私の好きな『ガフリエルのオーボエ』を貼り、哀悼の気持ちを残すことにいたしましょう。
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地声で歌う

40年前の職場で

 やたらおでこが広くて、縁の太くて黒いメガネをかけた・・・ああ名前すら思い出せない職場(神奈川県公立小学校)の先輩が、熱く紹介してくれたのが、
芸能山城組でした。
何人かが音楽室に集まって、彼が得意そうにセットしたレコードの歌声を聴きました。
伸びやかな地声の歌声です。
私も大好きになり、同じレコードを買いました。
この度ちょいと引っ張り出したらこんな新聞記事がぱらり・・ジャケットから出てきました。
1981年のものです。(おそらく朝日新聞・新・旧 人 人)


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(読みにくいなあ!!何度撮り直してもこれが限界でしたので、これでご勘弁。)

1966年にお茶の水女子大学東京教育大学(現・筑波大学)の学生による男女混成合唱団「ハトの会コーラス」のリーダーに山城祥二(大橋力)が就任。ブルガリアの伝統的な女声合唱のほか、日本民謡グルジアの合唱など、さまざまな唱法でのコーラスにチャレンジする[1]。1969年、「合唱団ハトの会」に改名。民族音楽研究家の小泉文夫の協力を得て、メディアに登場するようになる。1970年に「恐山」を発表し、1976年に「恐山/銅之剣舞」としてアルバムをリリース。山城が民族音楽コレクションのスーパーバイザーをレコード会社から依頼され、各地へ録音に出かけるようになる[2]。これがJVCワールドサウンズの発売につながる。1973年、バリ島に初の調査。1974年に日本初となるケチャの全編上演をきっかけに、「芸能山城組」に改名。

Wikipediaの来歴の一部をコピー(続きは記事後半に貼り付け)
ある夏の日、新宿で行われていた「ケチャ祭り」をずっと見ていたな。
私にもそんな日があったのさ。
(動画はケチャ祭りでの合唱の様子)
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忘れられない歌声

 職場をたったの3年で去り、わたしは嫁いで北海道にやってきました。
新しい生活や育児に追いまくられる数年間が続き、ある日ふと、その歌声が懐かしくなりました。
CDを購入し、しばし堪能。

地の響~東ヨーロッパを歌う

地の響~東ヨーロッパを歌う

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(外部で録音したもののようですね。さまざまな音やセミの声が入り混じっておりますが、その中で繰り広げられる歌声です。)

うつくしい・・・・。

そして・・・・山城組による日本の民謡、「刈干切歌」も大好きなのです。

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ある日我が家のCDラックを眺めていた次男が
「え?????なんでうちに芸能山城組があるの!!!!!」
と言いました。
私の方は
「え??????なんで芸能山城組を知っているの!!!!!!」
なんでも
「アキラ」という大好きなアニメ映画の主題歌を歌ったのだとか。

1986年に、バリのガムランや日本のお経など、さまざまな民族音楽や唱法を取り入れた「輪廻交響楽」発表。これを聴いた大友克洋から楽曲の借用を要請されたのをきっかけに、『AKIRA』のすべての音楽を担当し、1988年に「Symphonic Suite AKIRA」として発表。1990年に「翠星交響楽」発表。その後も世界各地の民族音楽の研究と発表を続けている。

Wikipedia来歴(上記貼り付けたものの続き)より
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へえええそうかい。

40年前の私と、息子の今がつながった感じがして、感慨深かったです。


追記

koubakozuwariさんが、コメントを下さいました。

紹介してくださった曲をさっそく聴いてみました。
妖艶と形容しましょうか?
いや違うな。
まだ明かされていない謎めいた世界を覗き込む感じとでもいいましょうか?
昇っていくような、それでいて堕ちてゆくような・・・・
山城組の合唱ではありませんが、貼り付けておきましょう。
コメントありがとうごさいました。
本州の夏の夜を、久しぶりに思い出しております。
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13年前・・春のメロディ

13年前の冬

 その冬は、私のそれまでの経験の中で一番苦しい時でした。
町の小さな小学校の期限付き教諭として、
50日足らずを働いたのです。
たったの50日。
しかし、この日々は、私にとっては、とてつもなく長く苦しいトンネルでした。
kyokoippoppo.hatenablog.com
(過去記事は2年前に書いたものです。)
始終動悸がし、怖い夢を見て、ほとんど眠れず、唾液が出なくなり、ご飯が食べられなくなりました。
自尊感情はズタズタに傷つきました。
それでも
「辞めてはいけない。」
それだけを、自尊心の最後の砦としてようやく3月末日まで勤めたのです。
詳しいことは、メインブログの同じタイトル「13年前・・春のメロディ」に書きました。
ここは、音楽のストックの場所として開設しましたので、その頃私が描いた当時の様子、開放感の中で聞いたスティングの「ラビリンス」の音楽を貼るのみにいたします。

13年前の春

 冬に受けた傷はすぐには塞がりませんでしたが、終わったという安堵感、ともうあの職場に戻らなくても良いという安心感は格別のものでした。
仕事から開放されたのもつかの間。
なんと私はすぐに別の仕事が舞い込みました。
ここに貼った絵は、その頃思いのままに書いていた(苦しい時はもちろん中断)『いっぽいっぽ通信』に載せたものです。
出勤しない朝のうれしいことうれしいこと!!f:id:kyokoippoppo:20200407191134j:plainf:id:kyokoippoppo:20200407191200j:plain
仕事から開放されたのもつかの間。
なんとすぐに別の仕事が舞い込みました。
新しい仕事は、「私」が「私」のままでいられるもの。
児童館のお仕事でした。
放課後の時間に合わせ出勤し。夕方までのお仕事でした。
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帰宅後の私。
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そんな時期に聴いたのがスティングの『ラビリンス』というアルバムです。

 『ラビリンス(Songs From The Labyrinth)』(写真)と題された本作は、リュートのための曲を多く書いたことで知られるエリザベス朝時代の作曲家ジョン・ダウランドの作品を基調にしたもの。リュートは15~17世紀のヨーロッパで盛んに用いられた撥弦楽器(指などで弦をはじく楽器)で、ギターと調弦法・奏法は似ていますが、その起源は異なり、東洋の琵琶と同じ祖先を持つものと言われています。

 本作は、そのリュート演奏の第一人者であるエディン・カラマーゾフとの出会いなどがきっかけとなり企画されたもので、エディンのリュート演奏のみを伴奏としたヴォーカル曲やインスト曲を収録。また作曲家のダウランドが当時の国務大臣に宛てた手紙をスティングが朗読した曲や、スティングがエディンとのリュート・デュオを披露した曲も収録。

(CDジャーナルの音楽情報より)


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開放感の中で聞いたとはいえ、辛かった冬の日々はそれとセットのようなものです。

思い出しても、もう痛みを伴うことはないあの冬の日々。
ても忘れることはない、忘れてはならない日々なのです。

SILENT SNOW


 この記事は私のメインブログをコピーしたものです。
記事の最後にギロックのピアノ小曲を貼り付けましたので、こちらにも流用することにしました。

2020年の冬

 北海道オホーツク海沿いの我が町も、異例の冬でしで、雪が積もらず、春先に見るような全く勢いのない雪景色のまま日が過ぎておりました。
積もっても20~30分も除雪すれば、済んでしまいようなあっさりした雪ばかりでした。

休み明けのスキー学習は、町のスキー場がオープンできず、お預け状態。

音もなく降る雪

 
昨日は、静かな雪が終日降って、
ようやく「白一面」の世界となりました。


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今朝の我が車。
(年末にぶつけられた車です。
ようやく修理が終わって戻ってまいりました。)

ワイパーが窓に凍り付かないように、浮かしてあります。

でも今日は車を置いて、歩いて出勤しました。
雪の下は、わずかに降っては解けて固まる・・・を繰り返した黒々とした、氷です。
その上にふわりと積もった雪。
気をつけて歩かないとスッテンコロリンしてしまいます。


車で出勤した先生は、通勤途中で滑って路外に転がり落ちた車を見たとか・・。
「今朝は一台落ちてたわー。」
冬には珍しくない話題です。

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ようやく白い景色とはなりましたが、まだまだ足りないね。
いつもは、窓の半分を塞ぐような雪なのに。
庭のオンコ(イチイ)の雪帽子のさみしいこと。


雪の下で、春を待つべき秋撒き小麦が、むき出しのまま寒風にさらされ、ダメになってしまっているようです。
今年は国産小麦の価格が上がるかもしれませんね。


  *  *  *  *  * 

ドカ雪はくるのか?

 やってもやっても終わらず疲労困憊、お手上げ状態の雪はもちろん歓迎しないのです。
歓迎はしないものの、だからといってこんな冬だと何だか緩んでしまいダルダルです。
ドカ雪になって、アドレナリン出しながら下着まで汗に濡らして除雪する・・・・
「いやいや、ひどいね。」
とご近所さんと挨拶を交わしながら除雪する・・・・そんな雪を待っているような、いないような私です。

最後に、YouTubeで見つけたピアノ曲を貼り付けておきましょう。
ギロックの小曲です。
本当にささやかなささやかな曲ですが、
二曲めの
『THE SILENT SNOW』
が好き。
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スティングはかっこいい!!

2020年お正月
 

 長男、次男が帰省しました。
長男と毎年話題にするのが、音楽のこと。
音楽の話をしていて必ず出てくるアーティストの名がスティング。
かっこいい!かっこいい!!かっこいい!!

それに尽きるのです。

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スティービー・ワンダーによる『フラジャイル』もどうぞ!!

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追記
長男編曲による「Until」も・・貼り付けました。
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