good-byeエンニオ・モリコーネ

※この記事は同タイトルのメイン記事を貼り付けしたものです。

訃報

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7月7日、
長男からのラインで、エンニオ・モリコーネが亡くなったことを知りました。


家に戻ってから新聞を広げましたら、記事がみつかりました。
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享年91歳・・・・大往生といえますね。
年齢を考えれば、このような報道は想定内といえましょうが、長男Hにとっては予期せぬものだったようで、大きな衝撃と共に受け取ったことが、その文面から伝わりました。
彼のTwitterには、「心に大きな穴か空いた」と書かれておりました。

この事を記事として残すことは可能だろうか?
と問われましたので、
「やってみましょう。」と。
Hのリクエストに応えることにしました。

 昨日の記事で、次男が数日滞在するのでバタバタすると綴りましたが、彼はこちらに来ても仕事三昧な様子。
引っ越し業者の方がやってきて、搬出が終わるや、
お留守タイムの妹宅(娘のところ)へ移動し、そこでリモートワークに励むそうです。

1日年休を取った私は、思いがけずのんびりした時間を確保することができることとなりました。
天気は良く、外は静か。
今はまだ自宅にいる次男のパソコンのカタカタいう音と、外で鳴き交わしているカラスの声を聞きながら、ソファに座ってスマホで下書きを打っています。

ピアノとバイトとビデオの日々

 長男がエンニオ・モリコーネを知ったのは、16歳の時。
長男Hは、中学3年生で初めてピアノに触り、その後その世界にのめり込みました。
高校の進学もせず、バイトとピアノとレンタルビデオ観賞の日々のなか、出会ったのが、
海の上のピアニスト』でした。

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この曲をひっさげて札幌に出向き、素人自慢コンクールに出場しました。
そこで出会った音楽仲間との交流も始まり、息子の道は迷うことな方向づけられてゆくことになります。
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素晴らしい音楽を残して・・・

 Hは、その後作曲の勉強をし、その技術を向上させるべく今も励む日々です。 
作曲の手ほどきを受けることとなる、M先生と初めての対面時のこと。
M先生はHに、
「君には、目指したいと思えるような作曲家、目標とするような作曲家がいるか?」
と尋ねたそうです。
Hは近代音楽の作曲家として確立を果たしておられるM先生を前にしながらも、正直にエンニオ・モリコーネの名を挙げたということです。



彼にとってエンニオ・モリコーネは、峰の高みに存在する揺るぎない理想だったようです。
憧れ、尊敬の対象だったようです。
直接会ったり、話したりする存在ではなかったものの、大ききな拠り所であり、それを失った悲しみ喪失感は大きく、Hの感情に激しく作用したのでした。

Hに関することは「長男のこと」に綴っておりますし、今後も折々に綴っていきます。
重複を避けるためにもここら辺りでとどめておきましょう。

息子のリクエストであるこちらの動画と・・・・
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私の好きな『ガフリエルのオーボエ』を貼り、哀悼の気持ちを残すことにいたしましょう。
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