ラフマニノフ
OP16.No.4
手持ちのCDをメルカリに出品しようかと思い、音飛びなどの不具合がないか視聴しました。
聴いている途中で、なんだが懐かしい一曲が耳に入りました。
息子が夢中になってピアノを弾いていた頃、よく聴いていたラフマニノフのピアノ曲。
あの頃の日々が思い起こされ、ここに収めておくことにしました。
CDは残念ながら音飛びが認められ、出品できず。処分することにしましたが、ちょっと貴重なものを発掘した気持ちです。
備忘録的な記事です。
私のためのストック記事。
もともとそんな存在のこの場所ですが、さらにその色が濃いものです。
たった数名の読者しか持たぬサブブログですが一応お断りしておきましょう。
長男Hがこの動画をアップしたのは6年前のこと。「化け猫」名義でニコニコ動画やYouTubeに発信していた頃のものです。
youtu.be
その後Hの音楽活動も変遷を辿り、名前も「化け猫」から「日向猫」へ、今はFINAを名乗っています。
kyokoippoppo.hatenablog.com
アップされるものも、編曲から自作曲へと舵を切っております。
「化け猫」としての自分は、遥か昔の存在であり、思い出すこともなくなっていたことでしょう。
そこへ、思いがけない知らせが入ったのです。
これを音源として歌った方からの連絡でした。
音源使用のやり取りが交わされたのがいつのことかは分かりませんが、練習を重ね納得できるものに仕上がったのでアップしたとのこと。
お互いのコメントを読めば、音源使用からアップまでにかなりの年月を経ていることが伺えます。
Hにとっては望外の喜びとなったようです。
鎮魂頌の元歌は、アリプロジェクトの作品ですが、この楽曲のさらなる元祖はイタリアの作曲家スカルラッティの歌曲だそうです。
Hの動画解説には次のような説明が添えられています。

おお!なるほどね。
戦後日本の姿も刻々と変わる中、鎮魂頌の歌詞はどのように受け取られるのでしょうか?
Hがこれをアップしたのは6年前の8月のこと。
終戦記念日を意識し、平和を希求する気持ちでアップしています。
が、その際動画に靖国神社を入れたかったのに上手くいかなかったと漏らしました。
鎮魂のイメージが、安易に靖国神社と結びついたのでしょう。
私は、入れなくて正解だよ。
と伝えました。
靖国神社…国のために命を差し出した人々の御霊を鎮める場所というイメージはあります。が、その時代そうせざるを得なかった現実があり、彼らは自ら差し出したようでいて、そのようにさせられたのです。
彼らの慰めが本当に靖国神社に祀られることであるのか?
私には分からないのです。
靖国神社を安易に平和の象徴にしてしまってよいのか?
これも記事に残しています。
来月には終戦記念日がやってきます。
選挙が終わり、長らく安定を保っていた自民公明の凋落が明らかになったと共に「参政党」が躍進。
不穏な憲法草案を掲げる党です。
誰もが求める平和…
どのように維持されるのか?私たちはどのような姿勢で生きれば良いのか?
試されていきそうですね。
長らく凍結されていたこのブログに、久々に目を向けたきっかけは、カメさんという方からいただいた思いがけぬメッセージでした。

下田逸郎の音楽を愛するひとりのお人。
これをきっかけに、ブログ内にてコメントのやりとりがしばし交わされました。
その頃私は苦しい日々の中にあり、そのやりとりは、ささやかながならも気持ちの支えになったのでした。
ところが、唐突にカメさんの発信が途絶えました。ブログの更新の無い日々が続き、最後にはnot foundの存在となりました。
おやおや、何らかの心境の変化がおありだったのでしょうか?
カメさん!
それでも私はあなたを忘れないでしょう。
ありがとね!
そしてさよなら!
今日の曲は『MOVING ON』だよ。

どんな時も 精一杯に
そうだね!
長らく凍結状態だったこちらのサブブログ…。
少しずつ緩み、かなり気ままなサイクルながら投稿を再開しております。
10代最後の年に出会った下田逸郎の作品は、その後私をとりこにし、私の人生に作用しました。
当時知り合った青年と、湘南の海岸に座ったときが、下田氏の作品との出会いとなりました。
彼は、ハンディのカセットデッキを携えており、浜辺でその音楽を披露したのです。
私はとても居心地が悪かった。
そういう演出が、どうも肌に合わなかったのです。
曲も私の内部には届きませんでした。
彼は、そのカセットテープをそのまま私に貸してくれました。
アルバム『銀の魚』と『LOVE SONG IN THE NITE』をダビングした2本を…。
私は、ひとりの部屋で改めてそれを聴きました。
聴く程に心に沁み入って
で…そう、虜になったのです。
男女の出会いから、別れまでを音楽で物語った『銀の魚』。
下田逸郎を知る人は、私の周りにはおらず、それを私に教えてくれたその青年はそのまま私にとって貴重な存在となったのです。
私にとっての彼はステージ上の人で、彼にとって私は、客席に光る「銀の魚」?
そんな、甘やかな世界が展開したのです。
しかし、揺るぎなく相手を「好き」になってしまった私に対し、彼の方から同等のものが返ってくる手応えを感じることはできませんでした。
交際は続いていたものの、大切にされている実感がなかったのです。
私が私を大切にする人ならば、とっとと別れてしまったことでしょう。
しかし、私はその欠損感にしがみつき、彼を追うことをやめなかったのです。
彼は、どんな嗅覚が働いたものか、彼女としての位置づけは、決して高くはなかったのに、結婚するなら私ということだけは揺るぎなく持っており、紆余曲折ありながらも私たちは結婚しました。
その後の生活は、悲しいことに、描いたような幸せにつながりませんでした。
生活を共にするのです。
あれほど共にいる時間が貴重だったのに、相手は常にそばにいる。
お互い嫌なものが見えてきて、温かい気持ちを持続することが難しくなりました。
そのうち私は母となり、私の全存在が、「女」であるより「母親」であることを選ぶようになりました。
さあて、そうなると下田逸郎の歌の受け取り方すらも変容していかざるを得ません。
「愛」を歌ったものを、ストレートに受け取りづらくなったのです。
私の好みは、『飛べない鳥、飛ばない鳥』に定着してゆきました。
もちろんこれも、「愛」を歌ったアルバムです。
でも、「この人!」
とひとりの人に思い入れた自分の過去と切り離して聴くことができるのです。

終わらない道歩く
ひとりひとりで生きる
今はこの歌詞が私の気持ちに添うのです。
ほぼ凍結状態だった、このサブブログに寄せられた一通のコメント。
それによってこの場所に光が当たり、じんわりと解凍されました。
ここは、ストックしておきたい音楽を保存しておくという、趣味のお部屋です。
ことさらに来訪者を集める気持ちもなく、ただただ自分の楽しみとやすらぎの場として設置しました。
とはいえ、他者を遠ざける気持ちもありませんから公開記事として存在させていたのです。
世に存在する音楽の多くを知らない私。
心に残る音楽を、過去記事にいくつか残しながらも、いつかは下田逸郎氏の作品をここに!と思っていました。
下田逸郎の歌に出会わなかったら、今の私はいなかっただろうと思います。
それほどに影響を受けたのです。
この度は、アルバム『飛べない鳥飛ばない鳥』の中から、2曲をここに残します。
同じメロディーの2曲。
いやはや…このサブブログの存在に思いが向かないまま、ずいぶんと日にちがたってしまいました。
久々にここに好きなメロディーを積み上げようと思い立ったのは、思いもよらぬ嬉しい出来事がきっかけです。
前記事に寄せられた かめさんからのメッセージ。
下田逸郎の音楽を愛する方からのコメントでした。
”思いもよらないことが起きた"ということ自体が私にとってはうれしいのです。
実はつい1週間前にも、旧友からの思いもよらぬTELに驚き喜んだ私。
”思いもよらぬことの訪れ”は、私にとっては神さまからのノックなの!
そんな喜びを携えて、久々に「音楽の部屋」に記事を投下することにしました。
もちろん下田逸郎の動画を・・・。
前の記事に連動させるなら、『飛べない鳥と飛ばない鳥』からの選曲が相応しいのでしょうが、
一旦それは後回しにして今回は
『霧が深いよ』を…。
私が下田逸郎を知ったのは40年以上前のこと。
この曲が収録されている
LPレコード『LOVE SONG IN THE NIGHT』(1977年)を何度も何度も聴きました。
YouTubeではレコード収録の音源が見つかりませんでしたので、同じく1997年に沖縄で収録されたものを貼り付けました。

今の自分に寄り添う一曲。
心はゆらゆらとたゆたい、やがて静かになってゆくのです。
前回の記事は、1年以上の前のもの。
そしてそれは、秘密の小部屋的なもの。
訪れる方が少なく、おそらく我が子たちの目にも触れないだろうこちらに、私はスピリチュアル的な要素の強い動画をアップしたのでした。
その後、この番組の新着を毎日見てきました。
まるで験担ぎのような気分でね。
時々の「不安」は、いつもそばにありましたが、喜ばしいことも訪れましたし、兎にも角にも前回の記事から1年余が過ぎたわけでして、そのことに対して感謝しなければなりません。
なんとか越えてきましたよと。
そして、これからも、その都度やってくる波を越えてゆく暮らしは変わらないでしょう。
前記事より1年後の、暑かった夏があり、秋がやってきました。
振り返るよりは先に進もう!
そのためにも新しい記事を積み上げよう!
そう思うようになりました。
ならば何の曲を?
私の人生に強く作用した下田逸郎の曲を、少しずつ収めてゆくことにします。
下田氏の作品を残すということは、このブログがエピローグに向かってゆくのだろうと思える程の、特別な思いを生じさせます。
この先に、別の記事を積み上げることを避けたい、そんな気持にさせる作品たちなのです。
数種のレコードを持っています。
特に好きなものが、
『飛べない鳥と飛ばない鳥』というアルバムです。(1973年発売)
マーシー・スティンという作詞家、ボーカルアレンジャー
とのコンビで生まれたもの。
(以下の写真や情報はアルバムのライナーノーツより)


そしてボーカルは下田氏一人ではなく、このお二人も交えて歌われております。
そんな異色のアルバムなのです。




このアルバムから、表題ともなっている『飛べないと鳥飛べばない鳥』をここに残し、下田逸郎シリーズのスタートといたしましょう。