地声で歌う

40年前の職場で

 やたらおでこが広くて、縁の太くて黒いメガネをかけた・・・ああ名前すら思い出せない職場(神奈川県公立小学校)の先輩が、熱く紹介してくれたのが、
芸能山城組でした。
何人かが音楽室に集まって、彼が得意そうにセットしたレコードの歌声を聴きました。
伸びやかな地声の歌声です。
私も大好きになり、同じレコードを買いました。
この度ちょいと引っ張り出したらこんな新聞記事がぱらり・・ジャケットから出てきました。
1981年のものです。(おそらく朝日新聞・新・旧 人 人)


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(読みにくいなあ!!何度撮り直してもこれが限界でしたので、これでご勘弁。)

1966年にお茶の水女子大学東京教育大学(現・筑波大学)の学生による男女混成合唱団「ハトの会コーラス」のリーダーに山城祥二(大橋力)が就任。ブルガリアの伝統的な女声合唱のほか、日本民謡グルジアの合唱など、さまざまな唱法でのコーラスにチャレンジする[1]。1969年、「合唱団ハトの会」に改名。民族音楽研究家の小泉文夫の協力を得て、メディアに登場するようになる。1970年に「恐山」を発表し、1976年に「恐山/銅之剣舞」としてアルバムをリリース。山城が民族音楽コレクションのスーパーバイザーをレコード会社から依頼され、各地へ録音に出かけるようになる[2]。これがJVCワールドサウンズの発売につながる。1973年、バリ島に初の調査。1974年に日本初となるケチャの全編上演をきっかけに、「芸能山城組」に改名。

Wikipediaの来歴の一部をコピー(続きは記事後半に貼り付け)
ある夏の日、新宿で行われていた「ケチャ祭り」をずっと見ていたな。
私にもそんな日があったのさ。
(動画はケチャ祭りでの合唱の様子)
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忘れられない歌声

 職場をたったの3年で去り、わたしは嫁いで北海道にやってきました。
新しい生活や育児に追いまくられる数年間が続き、ある日ふと、その歌声が懐かしくなりました。
CDを購入し、しばし堪能。

地の響~東ヨーロッパを歌う

地の響~東ヨーロッパを歌う

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(外部で録音したもののようですね。さまざまな音やセミの声が入り混じっておりますが、その中で繰り広げられる歌声です。)

うつくしい・・・・。

そして・・・・山城組による日本の民謡、「刈干切歌」も大好きなのです。

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ある日我が家のCDラックを眺めていた次男が
「え?????なんでうちに芸能山城組があるの!!!!!」
と言いました。
私の方は
「え??????なんで芸能山城組を知っているの!!!!!!」
なんでも
「アキラ」という大好きなアニメ映画の主題歌を歌ったのだとか。

1986年に、バリのガムランや日本のお経など、さまざまな民族音楽や唱法を取り入れた「輪廻交響楽」発表。これを聴いた大友克洋から楽曲の借用を要請されたのをきっかけに、『AKIRA』のすべての音楽を担当し、1988年に「Symphonic Suite AKIRA」として発表。1990年に「翠星交響楽」発表。その後も世界各地の民族音楽の研究と発表を続けている。

Wikipedia来歴(上記貼り付けたものの続き)より
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へえええそうかい。

40年前の私と、息子の今がつながった感じがして、感慨深かったです。


追記

koubakozuwariさんが、コメントを下さいました。

紹介してくださった曲をさっそく聴いてみました。
妖艶と形容しましょうか?
いや違うな。
まだ明かされていない謎めいた世界を覗き込む感じとでもいいましょうか?
昇っていくような、それでいて堕ちてゆくような・・・・
山城組の合唱ではありませんが、貼り付けておきましょう。
コメントありがとうごさいました。
本州の夏の夜を、久しぶりに思い出しております。
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13年前・・春のメロディ

13年前の冬

 その冬は、私のそれまでの経験の中で一番苦しい時でした。
町の小さな小学校の期限付き教諭として、
50日足らずを働いたのです。
たったの50日。
しかし、この日々は、私にとっては、とてつもなく長く苦しいトンネルでした。
kyokoippoppo.hatenablog.com
(過去記事は2年前に書いたものです。)
始終動悸がし、怖い夢を見て、ほとんど眠れず、唾液が出なくなり、ご飯が食べられなくなりました。
自尊感情はズタズタに傷つきました。
それでも
「辞めてはいけない。」
それだけを、自尊心の最後の砦としてようやく3月末日まで勤めたのです。
詳しいことは、メインブログの同じタイトル「13年前・・春のメロディ」に書きました。
ここは、音楽のストックの場所として開設しましたので、その頃私が描いた当時の様子、開放感の中で聞いたスティングの「ラビリンス」の音楽を貼るのみにいたします。

13年前の春

 冬に受けた傷はすぐには塞がりませんでしたが、終わったという安堵感、ともうあの職場に戻らなくても良いという安心感は格別のものでした。
仕事から開放されたのもつかの間。
なんと私はすぐに別の仕事が舞い込みました。
ここに貼った絵は、その頃思いのままに書いていた(苦しい時はもちろん中断)『いっぽいっぽ通信』に載せたものです。
出勤しない朝のうれしいことうれしいこと!!f:id:kyokoippoppo:20200407191134j:plainf:id:kyokoippoppo:20200407191200j:plain
仕事から開放されたのもつかの間。
なんとすぐに別の仕事が舞い込みました。
新しい仕事は、「私」が「私」のままでいられるもの。
児童館のお仕事でした。
放課後の時間に合わせ出勤し。夕方までのお仕事でした。
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帰宅後の私。
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そんな時期に聴いたのがスティングの『ラビリンス』というアルバムです。

 『ラビリンス(Songs From The Labyrinth)』(写真)と題された本作は、リュートのための曲を多く書いたことで知られるエリザベス朝時代の作曲家ジョン・ダウランドの作品を基調にしたもの。リュートは15~17世紀のヨーロッパで盛んに用いられた撥弦楽器(指などで弦をはじく楽器)で、ギターと調弦法・奏法は似ていますが、その起源は異なり、東洋の琵琶と同じ祖先を持つものと言われています。

 本作は、そのリュート演奏の第一人者であるエディン・カラマーゾフとの出会いなどがきっかけとなり企画されたもので、エディンのリュート演奏のみを伴奏としたヴォーカル曲やインスト曲を収録。また作曲家のダウランドが当時の国務大臣に宛てた手紙をスティングが朗読した曲や、スティングがエディンとのリュート・デュオを披露した曲も収録。

(CDジャーナルの音楽情報より)


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開放感の中で聞いたとはいえ、辛かった冬の日々はそれとセットのようなものです。

思い出しても、もう痛みを伴うことはないあの冬の日々。
ても忘れることはない、忘れてはならない日々なのです。

SILENT SNOW


 この記事は私のメインブログをコピーしたものです。
記事の最後にギロックのピアノ小曲を貼り付けましたので、こちらにも流用することにしました。

2020年の冬

 北海道オホーツク海沿いの我が町も、異例の冬でしで、雪が積もらず、春先に見るような全く勢いのない雪景色のまま日が過ぎておりました。
積もっても20~30分も除雪すれば、済んでしまいようなあっさりした雪ばかりでした。

休み明けのスキー学習は、町のスキー場がオープンできず、お預け状態。

音もなく降る雪

 
昨日は、静かな雪が終日降って、
ようやく「白一面」の世界となりました。


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今朝の我が車。
(年末にぶつけられた車です。
ようやく修理が終わって戻ってまいりました。)

ワイパーが窓に凍り付かないように、浮かしてあります。

でも今日は車を置いて、歩いて出勤しました。
雪の下は、わずかに降っては解けて固まる・・・を繰り返した黒々とした、氷です。
その上にふわりと積もった雪。
気をつけて歩かないとスッテンコロリンしてしまいます。


車で出勤した先生は、通勤途中で滑って路外に転がり落ちた車を見たとか・・。
「今朝は一台落ちてたわー。」
冬には珍しくない話題です。

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ようやく白い景色とはなりましたが、まだまだ足りないね。
いつもは、窓の半分を塞ぐような雪なのに。
庭のオンコ(イチイ)の雪帽子のさみしいこと。


雪の下で、春を待つべき秋撒き小麦が、むき出しのまま寒風にさらされ、ダメになってしまっているようです。
今年は国産小麦の価格が上がるかもしれませんね。


  *  *  *  *  * 

ドカ雪はくるのか?

 やってもやっても終わらず疲労困憊、お手上げ状態の雪はもちろん歓迎しないのです。
歓迎はしないものの、だからといってこんな冬だと何だか緩んでしまいダルダルです。
ドカ雪になって、アドレナリン出しながら下着まで汗に濡らして除雪する・・・・
「いやいや、ひどいね。」
とご近所さんと挨拶を交わしながら除雪する・・・・そんな雪を待っているような、いないような私です。

最後に、YouTubeで見つけたピアノ曲を貼り付けておきましょう。
ギロックの小曲です。
本当にささやかなささやかな曲ですが、
二曲めの
『THE SILENT SNOW』
が好き。
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スティングはかっこいい!!

2020年お正月
 

 長男、次男が帰省しました。
長男と毎年話題にするのが、音楽のこと。
音楽の話をしていて必ず出てくるアーティストの名がスティング。
かっこいい!かっこいい!!かっこいい!!

それに尽きるのです。

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スティービー・ワンダーによる『フラジャイル』もどうぞ!!

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追記
長男編曲による「Until」も・・貼り付けました。
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クリスマスによせて

 クリスマス近し、ということでこんな一曲を・・。
もともとは合唱の曲として作られたものだということです。
でも私はピアノで奏でられたものが好き。
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 こちら、クリスマスとは関係ございません。
teruoblog687.blog.fc2.com


札幌のコンサートホール「キタラ」のバースデイコンサートは例年7月に行われているのですが、
2015年のコンサートに訪れたある方のブログです。
演奏曲目が細かく書かれていたので、貼り付けさせてもらいました。
実は私も、この日のコンサートの一聴衆でした。


というのも、長男がこちらの演目のうち『主よ、人の望みの喜びよ』の編曲を手がけたからです。

〈ヴァイオリンと合唱とオルガン〉
 J.S.バッハカンタータ「心と口と行いと生活で」BWV147より コラール「主よ、人の望みの喜びよ」

当時ここで働いておりましたので、内輪のお手伝いとして協力した形です。
ですから名前などは出ませんでしたし、対外的に知られることもありませんでした。
しかし息子にとっては、自分の学んだ技術をいかした、栄えあるミッションだったそうで、チケットを贈ってくれたのです。
ならば・・・と夫と共に札幌へ繰り出すことにしたのです。

これを逃してはもうこのような立派なコンサート・ホールを見ることはないかもしれぬ・・そんな思いからです。
田舎者の私たち。
札幌は遠い地で、ましてやキタラホールともなればめったに拝めない場所という感覚なのです。

2015年7月のこと・・・。おのぼりさんしてきましたよ。
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      コンサート・ホール「キタラ」の施設紹介のページより

シェイプ・オブ・マイ・ハート

レオンのテーマ

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我が家の長男は、中卒で働き始めました。
近所のコンビニのアルバイトですがね。

早朝勤務が終わると、ワンコイン持って、自転車こいで、隣の地区のレンタルビデオ屋さんに行きビデオを借りていたものです。

次から次へと洋画を借りては、本編のおもしろさもさることながら、挿入歌や主題歌の魅力にも目覚めてゆきます。

『レオン』の主題歌もそんな一曲。

私はそんな息子を通して、様々な美しい曲を知りました。

スティングの歌声は大変魅力的で、ほかにも多くの名曲がありますが、今回貼り付けたのは
『シェイプ・オブ・マイ・ハート』のみ。
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ムーラン・ルージュ

 映画『ムーラン・ルージュ』の挿入歌たちです。
ビデオでこの映画を観た長男が、心奪われ私に教えてくれたものです。
長男は毎晩毎晩繰り返しビデオを観て、その音楽にひたっておりましたっけ。

舞台は1899年、パリの魅惑的なナイトクラブ、ムーラン・ルージュ。作家を目指してパリに出てきたばかりのクリスチャンは、このクラブの花形スターであり高級娼婦のサティーンと恋に落ちる。が、彼女を我がものにしようとする公爵が登場し、悲劇が起こる。「ロミオ&ジュリエット」(96)のバズ・ラーマン監督がミュージカル映画に挑戦。音楽、振り付け、撮影、編集、美術、衣装ともに同作のスタッフが集合、一大映像絵巻を展開。

2001年製作/128分/アメリ
原題:Moulin Rouge!

監督   バズ・ラーマン
脚本  バズ・ラーマン   クレイグ・ピアース
主演  ニコール・キッドマン ユアン・マクレガー

(映画COM 作品紹介より)

 

『Nature Boy』でこの物語は幕を開けます。
この曲はもともと、黒人のピアニストで歌手である「ナット・キング・コール」の歌声で世に広まりました。
このように、ここで歌われる曲は、ほとんどが人々の耳に馴染んだ既製曲のアレンジです。
1889年~1900年ころのパリを舞台にしていながら、使われる曲は20世紀のポピュラーサウンドたち。
 印象的な「声」たちが魅力です。
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唯一 映画のためにプロデュースされたのが次の
『Come What May』です。
デュエットラブソングの最高峰といわれる一曲なのだとか。

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映画・COMのページではこの映画について、次のように評されておりました。

ムーラン・ルージュ」は「見るテクノ」だ。「見る音楽」と言ってもいいのだが、テクノが「感情」ではなく「感覚」に作用することを目指す音楽であることを思うと、やはりテクノと言ったほうが正確だろう。この映画はテクノ同様、「感覚」に作用する。その色彩と速度と律動で、観客を陶酔に誘う装置なのだ。

なるほど!!
次の『Your Song』は「エルトン・ジョン」によって歌われていたもの。
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こちらは、イギリスのロックバンド「クイーン」の曲ですね。
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『El. Tango.de Roxanne』 ことらはイギリスのロックバンド「ポリス」の『Roxanne』のアレンジです。
濁った低音の声と、ユアン・マクレガーの朗々とした声が交互に・・・時に重なり響きあい、情念のからんだ駆け引きが繰り広げられます。


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ダンスがかっこいい!!